この五十年と言う歳月は、入居当初の西部劇のシーンを思わせるような泥んこ道や砂塵など、開発途中の地肌剥き出しの状況から立派な住宅地に変身いたしました。
この間、多くの方々の絶え間ないご努力の積み重ねがあり、開発当初に目指した素晴らしい住環境を備えた団地が出来上がり、何とか維持することが出来ていることは慶ばしい限りです。
しかし、五十年という年月の流れは、その一部に変化の兆しが表われ、戸建て住宅が共同住宅に衣代わりしたり、周囲の緑が消滅したりしてきました。またこの自治会の区域内にも世代交代という大きな波が押し寄せております。つまり高齢化の進行と共に、ここに住まう主が第一世代から第二世代へ、更に第三世代へと移りつつあります。この流れのなかで我々は少なくとも、流山の中でも指折りのこの良好な環境を落とすことなく維持し、次の世代へ引き継いでゆく使命があります。
その点からも、地区計画を導入し、西口駅前広場の改良を進めるなど真剣に取り組んでおります。住環境に加えて、ややもすると薄くなりがちな会員同士の触れ合いや絆を一層深めるべく、顔を合わせた者同士が声を掛け合う「一声運動」の実行や「西まつり」をはじめとするいろいろな催しを実施して来ております。また、つくばエキスプレスの開通による犯罪の急増に備え、安心安全の街づくりと会員同士の声掛けの推進のために「一声運動パトロール」を実施して来ました。
これら、この半世紀に亘る自治会の歩みを記録に留め、次の世代を担う多くの人達に引き継いで行くべく、四十周年の時点で発刊された「西自治会創立四十周年記念誌」に、この十年間の歩みを加え「五十周年資料集」として編集いたしました。
五十周年という記念すべき年に「十年の歩み」を纏めることとなった我々役員一同は、この江戸川台西自治会の脈々と流れる伝統が、更に六十年、八十年、百年と受け継がれて行くことを心から願って止みません。
最後に、自治会活動を支え続けてくださっているボランティア、ブロック委員、常任委員、役員の方々の熱意に敬意と感謝の意を表します。
平成二十二年三月一日
西自治会長 立神 幸彦
自治会発足・区域の拡大
西自治会は、昭和34年春の第1回入居(1、3丁目の一部)に伴って結成され、これに続いた1、2丁目の残部および3、4丁目の入居によって拡大しました。さらに昭和48年4月に富士見台2丁目の北東部の一角16戸が当自治会に加入し、昭和50年1月には上新宿の北東部の一角14戸が、行政区域の変更に伴って4丁目に編入され当自治会に入会しました。北部中学南側地域の中野久木住宅は、昭和60年4月の第一次造成以降逐次当自治会に入会し、同月西3丁目に竣工した日本住宅公団の賃貸中層住宅(エステート)180戸の一部が入会しました。また、北部中学校前も美原1丁目の一部5戸が当自治会に入会している反面、西4丁目の221番地(江戸川台キリスト教会下)の32戸は富士見台2丁目開発の業者によって開発されたため、同丁目(富士見台2丁目)の自治会に入会しております。
〈以上の記述、40年誌より〉
その後、4丁目の西部、富士見台2丁目の一角に中央住宅が開発した住宅15戸が平成17年1月から10月にかけて入会、さらにその西部の富士見台2丁目の一角に東急不動産が開発した住宅(ブランズガーデン)36戸が平成19年1月から12月にかけて入会しました。この間1~4丁目の空き地にも中規模の開発が進み、新入会員が増加しました。しかし、平成22年現在、エステート居住者の会員はおりません。
活動の変遷
設立当初の自治会活動は、道路や排水などの生活環境整備の交渉に明けくれました。その後環境整備が落ち着くにつれ会員同士の同好会などサークル活動が活発になり、自治会も補助金を出すなど支援を強めてきました。しかし、平成15年頃から、特定のグループに偏りがちなサークル後援は徐々に取りやめとなり、平成22年現在では、部会、丁目ごとに会員全体に目配りした環境整備、安全確保、交流、親睦活動に力を入れています。